憧れの三池監督との打ち合わせ
年が明けて、2004年春先。
スタッフも決まり、打ち合わせが始まりました。
この頃はまだシナリオが完成しておらず、我々妖怪デザインメンバーは見切り発進ですでにデザインを始めていました。
なぜなら・・・、この映画にはかつて無い程の大量の妖怪が出演リストに挙がっていたからです。
その数総計200…。(この時点ではまだ50体くらいでしたが…)
造型スタッフに少しでも早くデザイン画をまわせるように方向性が確定する前にもかかわらず、どんどんたたき台を上げていきました。
妖怪デザイナーは3人。
造型の世界では超有名な竹谷隆之さんと、造型もデザインも両方こなし、映画の造型チームを頂点で支えた百武朋さんと、ゲーム作ってて漫画を始めたばかりの脱サラ漫画家の僕でした。
その脱サラ漫画家が担当した妖怪は…
途中で書くのを止めようかと思ったけど、どこにも発表されないのであえてここにだけ出しておくことにします。
かなりの数ですが、本当に苦労したデザインはメインキャラくらいで、その他大勢の妖怪は、現代まで伝えられてきた妖怪本来のイメージをいじり過ぎないように固定化していくという作業に徹底しました。
「ひねりがないなあ・・・」なんて言わないでくださいネ。
特に大変だったメインキャラのデザインは、↓川姫とスネコスリでした。
川姫なんか最初↓こんな方向で考えてましたからネ…。(笑)
造型や衣装など、現場の状況でいろいろ調整が入るため、ガラリと変わったものもあれば、「まんまじゃん!」というのもありびっくりでした。
とくに「まんまじゃん!」と思った川姫・大天狗・瀬戸大将の写真を見た時には、「絵のまんまでいいんですか?」と思ってしまいました。(笑)
2004年春。
飯田橋の角川ビルでの打ち合わせの日、憧れの三池崇史監督に会いました。
「Dead Or Alive」で度肝を抜かれ、「漂流街」「着信アリ」で三池演出のとりこにされていた僕にとって夢のような局面に立っていました。
そして挨拶の時、名刺を渡した後でおもむろにかばんから「漂流街」のDVDを取り出して『ファンです!サインしてください!』とアホなお願いをしてしまいました。
事前にプロデューサーにOKを貰っていたのでできた事なのですが…恥ずかしいヤツですネ…。
そこで驚いたのが、僕の持ってきた黒マジックでは綺麗に書けないという事で、監督自らのマイシルバーペイントマーカーでわざわざケースから中のレーベルを取り出してサインしてくれました。
『なんてサービス精神旺盛な…。』
これが監督のサインです。
ちと見づらいけど僕の宝物です。
この件もそうですが、後に造型スタッフや撮影現場の人から聞いた話でも、三池監督は現場の人にも気の回る凄くいい人だという評判で僕は益々尊敬してしまうのでした。
さあ、ここからはお仕事の話。
妖怪一体一体のチェックが始まりました。
まだこの時点では、脚本がそろそろ完成するかな?という段階。
映画に最も効果的な、妖怪デザインの方向性を決めていく妖怪会議(笑)が始まりました。
監督にラフ画をバンバン見せていく妖怪デザインチーム。
それを造型師とCGディレクターがサポート。
見ていてビックリしたのは、監督の湯水のように溢れ出すアイディアの数々でした。
議題のシーンのたびに即興でその場で身振り手振りの演技で説明しカメラの動きまで細かく指定していく様は、あまりにも迷いが無くはっきりしているため話を聞いているうちにスクリーンが浮かんでくるような錯覚を覚えました。
これはもう僕にとっては鳥肌モノでした。
おかげで監督のイメージは物凄く解りやすかったです。
<レポートその3に続く…>